伝播

世の中にはいろんな人がいて、分かり合えないこともすごくたくさんあるけど、そのわりにはなんとなくお互いの気持ちが伝わってしまうことが多い。

また、敏感な人同士だと、良くも悪くも筒抜けになってしまうこともある。


きっと何も言わなくても、伝わりすぎてしまって、好きな時はこの上なく幸せな気持ちになれるけど、ちょっと前向きじゃなかったり、少しの不満があったりしたら、隠せない。


きっと、良くも悪くも伝わってしまっている。

あれこれ細かく計算してることわかってるだろうなと思うと恥ずかしい。


 

それを考えると尚の事、誠実にならないと未来が開けない。

捨て身で生きないといけない。


繁栄

自分の頭の中にあることをそのまま話して、

いつものパターンができて、

文化のように、歴史のように、習慣として生活に根付いて、それが安心感をもたらす、というような関係性は、断ちがたく、しかし、破綻をきたすような構造を取っていれば、いつか壊れる。

何も残らないのだろうか。



ある友人と話していたら、安心感があった。

最近、そういう会話をしなかった。

きょうだいと創作して一緒に遊ぶのは、楽しそうでいいな。


1日では打ち解けたパートナーになれるということは、ほぼない。

積み重ねが大事。


でもそういうのって縁なのかな。

友達がほしいな。

進めず戻れず

時代はどんどん進んで行き、

いろんなものがシンプルになり、迅速化されているけど、アナログで繊細な感覚を求めている。


好きな人と一緒に住んで、いつも下車するよりいくつか前のバス停で降りて、側のお寺に寄って、よくわからない謂れのある石碑の漢文とその解説を読んで、ここが面白いねって笑いあって、その後に栗でも拾って帰りたい。

そんな人生が適うのか?



私は昔、当時好きな人と同棲していたころ、休日に早起きして、犬の散歩を兼ねて少し遠いパン屋さんに出向き、パンを買い込んで食べることがあり、それはすごく幸せなひと時だった。

また、ある日は夜道で、電灯に照らされてできた自分たちの影を見て、変な踊りを即興で踊って遊ぶこともあった。

彼の仕事が忙しい日は、1人で犬の散歩に行ったけど、帰り道がわからなくなってずいぶん遅くなって、雨まで降って来て、やっと帰って来たときには心配されて、犬も私も、バスタオルで頭をくしゃくしゃ拭かれた。

夏のある日は、窓開けて涼みながら、寝っ転がって後ろから抱かれながら蟲師のアニメを観たこともあった。



そんな日は幸せだった気がする。

過ぎ去ってしまった日々が懐かしい。

また、幸せになりたい。



でも、現実は厳しいなあ。

囚われていて逃げ出すこともできない。



好きになるには時間が必要。

会ってすぐの人に、いい印象を抱くこともあるけど、それ以上になるには時間がかかる。


良書について

読書が良いと漠然と思っているけど、

良書と悪書の差は歴然。

良い本は、メイプルシロップのエキストラライトのように洗練されている、と感じます。

値段にもあまり比例していない。


また、ネットの記事は大半がありふれていて、しかも間違っていたり、役に立たなかったりするけど、稀に良いものがあると感じます。

探すのが難しいのだけど…。

検索するなら何か専門性の高いワードが必要になってくるし、検索できないようなところにあることもある。

世間の目に晒されると、繊細な情報はすり減ってしまう。書き手を傷付ける、書くことをためらわせる、記事を消させてしまう等。


覚書でした。



よく寝たせいか、肌の調子がすこぶる良い今日。若い自分を感じるけど、隣に立つ人も若くないと不自然か。

純粋だと言われるけど、相当計算はしているし、物知らずではないと思う。悪意は理解できるし、自信たっぷりの態度を取ってハッタリで人を納得させる選択をするときもある。

四畳半神話体系の感想ほか

森見登美彦さんの『四畳半神話体系』を読了した。


有名な作品だから、どんな感じかな、と思った。最後の方は楽しく読めたけど、全体的には、気に入った度合いを5点満点とするなら、3.2ぐらいかな。

展開にやや飽きてしまったきらいがある。最初の方は、あまり興味を引くようなことが起きなくて、特に読むのが辛かった。キャラクターを好きになる人にはいいのかもしれない。

しかし、やたらとエロ・グロを盛り込まずに、ひねくれつつもある意味純潔に描いている作風には好感。

最後の方のちょっとしたSF感は好き。

夜は短し歩けよ乙女』を読んだときは、もう少し楽しく読んだ気がするけど、私が若かっただけかもしれない。

アニメ化されているけど、アニメは面白いのだろうか。

何にせよ、久しぶりに小説を読んだ。

村上春樹さんの『女の居ない男たち』以来かもしれない。タイトル違うかも。



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自分の気持ちに向き合おうと努力しているけど、頭と心が反対の方向を向いている。


仕事中、自分が膝をついて、子供に接している写真を見たら我ながら神秘的な気がした。

母性と若さと慈愛に縁取られた静淑の乙女、と言ったら大げさよな。


今は星回りが、結婚向きじゃないだけかな…。



ちょっと人と見えてるもの違う気がする…。

個人的なキーワードとしては、文化と芸術、感性、教養、深み、古典と現代、大らかさ、等。


けっこう、自分としては大きな陥穽にはまってしまっていて、脱出したいけど、行く先は無いし、寒くて凍える雪原を、目的地も見えないままひとりでさまよい歩くのは辛くて、仮の庵で暖をとり、しかしそこにいては泥舟のように未来はなく、若さを持て余している。


今の生活だってそれなりに楽しいけれど、好きな人と結婚して、子ども持てたらなあって、毎日そんなこと悩んでるから、もっと今を楽しめたらいいのに。

でも今のある種の危機的状況は早く脱したい。


糸口

ある友人カップルが、もう直ぐ結婚するのだけど、男性の方が、女性のご両親に挨拶に行ったという話を聞いた。

特に彼氏も彼女も有名大とか、大企業とか、そういうのではないけれど、人柄が良くて、私は2人にとても好意を持っている。


ご両親に挨拶、というイベントが成り立つには、両親が健在であり、父・母・子が家族として成り立っている必要がある。


私は、プロフィール上は、高校、大学、就職先とそれなりに有名なところを押さえていて、また、住んでいる土地のイメージから、家柄良く見られがちだけど、全くそんなことはない。

私は、放任されて、毎日毛玉だらけの服を着せられ、マナーもろくに知らない酷い育ち方をしていじめに遭い、しかし1人で勉強を頑張って、高校に受かり、精神を病みながらも大学に入って、毎日泣きながらでも勉強してとある試験を受け、最終的に就職先に合格した。


家を出たいし、心許せるパートナーというか、居場所がほしくて、結婚願望がある。

でも、お見合いなどを希望しても、不自由なく育って、品のある家庭のお坊っちゃんが多くて、私は綺麗な話し方をする人は好きだけど、価値観が共有できそうもない。虐げられる辛さや、1人で何でも考えて生きて行かなければいけなかったことなど、理解してくれそうもないし、いささか頼りない。

私はまともな家庭に育ったまともな人と結婚するのは諦めた方がいいのでは、という気がする。気が合えば別にまともな家庭に育っている必要はない。


今も母が階下からヒステリックに喚く声と、父の怒声が聞こえる。怒声と書いているけれど、父の方がまだ冷静である。


もし私が、結婚相手を連れてきて、挨拶しても、きっと祝いの言葉の1つも述べてくれないだろうな。だって、誕生日も、試験合格も、祝ってくれない人たちなのだから。そんなに気が回るわけがない。

「ああ、そうですか」と他人事のような受け答えをして、「ほんとに結婚するの?へえ、勝手なものね。勝手にすれば」と後で私にだけ言うだろう。

「わざわざ、遠くからお越しいただいてありがとうございます。うちの娘をどうかよろしくお願いいたします」なんて、品のある言葉は言えないだろう。

既に、私の以前の彼氏について、それはもうひどい答え方をしていた。論理が破綻していて議論にもならない。

労いの言葉など言えるわけがない。



私は、そういう親の能力の限界自体には諦めがついているのだけど、価値観がこれほどに違うと話が成り立たず、ひどい寂しさを、既に小学四年生ごろから溜め込んでいる。


そして、矛先は恋愛関係へと向かい、やたら年上で、気が効く優しい男性に、娘のように甘える。相手には、大らかで頼れる理想の父のような、まめに世話をしてくれて細かなことによく気づく理想の母のような像を求めている。

だけど、そんなに年上の人とは結婚するわけにもいかない。


でも、若い人を好きになるには無理があると思う。

私は、理解されたいけど、若い人でわかってくれる人を見たことがない。何でかな。

このまま結婚できないのは辛い。

私は結婚して、子供を産んで、温かい家庭を持ちたい。


神様、解決の糸口を下さい。


酔いに任せて

久しぶりにお酒を飲みました。

飲み会でも、なんとなくソフトドリンクを頼んでばかりだったので、半年ぶりぐらいだと思います。体調がよほど良い時でないと、少量でも飲むと具合良くなくなっちゃったりするものだから。


楽しく酔えたのでは、と思います。

しかし、おつまみが殺人的な塩辛さで、私などはまだ若いほうだから、数日経てばほとんどなんともなくなるだろうけど、おじさま方の体調は心配になります。


私が働きかけたから、あの人は一歩踏み出せたと思えば、その結果が、私との乖離になるとしても、自身を含めて、みんな最終的に幸せになれるなら、それで良いのだと思います。

私そんな高尚なことしようと思ってなかったけど、愛みたいなものが、私の中に在り、大切に思う人へ示せることは、ありがたいことです。